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DOLL INTERVIEW(2006年4月号 No.224)

俺はここまでやってきて、胸はって名作って言える作品に出会ってるし、そこに立ち会えてる。それはもう奇跡ですね。 そんな音源持って来られた時の感動ったらないですから

札幌と聞いて、ストレイトアップ・レコーズが真っ先に頭に浮かぶのは私だけではないはずだ。札幌のバンドを中心にリリースを始め、北海道〜全国〜海外とリリースするバンドの範囲も広がっていき、絶えず、真摯な姿勢を持ったバンドの作品を世に送り続けている。この度、レーベル発足10周年を記念して、これまでリリースしてきた作品の中から選りすぐりの71バンド、71曲を収録した3枚組のコンピレーション『STRAIGHT UP DAYS』がリリースされることになった。この機会に、レーベル設立者であり中心人物のKOに、ストレイトアップ・レコーズの始まりから、レーベルに対する思いまで、これまで聞いてみたかった質問をぶつけてみた。返ってきた答えは、思った通り、説得力と誠実さに満ちたものであった。

*KOさんがレーベルを始めた最初のところからお聞かせください。最初に心の中でレーベルを始めようと考え始めたところから、具体的にやろうと動き始めるまでのことを順を追って話してもらえないでしょうか。

「実際に動き出したのは今から12〜13年前。今の中心街のカウンターアクションになる前に円山って地下鉄で2つ離れた地域で1年やってたんですけど、その頃からレーベルやろうと思って貯金はじめてたんで、なんだかんだと、始めようと思ってから実際に動き出すまでに2年以上はかかったと思います。それ以前からレーベル云々ってよりレコードを出したいって話はずっとしてたんですよ。オムニバスなりなんなりって。けど、そんな中でSLANGがH.G.FACT(注:東京のハードコア/パンク・レーベル)からアルバム出したりしてその後のナックルヘッドとかバリケードなんかの他の札幌のバンドのリリースにも繋がって行った時に、2年もあれば状況もけっこう変わってたんで、最初の意向プラス当時の札幌を凝縮したような作りに構想が膨らんだんだと思います。やり方は色々悩んだんですけどね。例えば誰かの単独作品にするとか色々考えはしました。けど、H.G.FACTが当時、勢いのあるそこら辺を拾ってくれたんで、「俺のやらなきゃいけないことは?」と考えた時に、あんな形に進んで行ったんだと思います。あの頃はとにかく地元の音を外に向けて発信して行くことしか考えてなかったですから」

*レーベル名の由来を教えて下さい。どんな思いを込めてつけられましたか?

「これはアメリカンスラングで「筋金入り」とかって意味が気に入って付けました。いろいろ思いを込めた物にしようとか候補はたくさんあったんですけど、何かの本で見たり映画で使われてるのとか聞いて気に入って付けましたね。「俺も筋金入りになってやる」みたいなノリで。悩んだわりにいつも単純です(笑)」

*SLANGの初期音源集のライナーに、KOさんがSLANGの作品を海外でリリースする意義について書かれているところがありまして、“ガキの頃の飢えた「俺」みたいな奴に届いてくれたら良いんだ”“ハードコアのネットワークを信じている”というあたりがとても印象に残っています。KOさんにとってレーベルは、いい音楽を求めている世界中の人が作品を手に入れやすくなるものであり、ハードコアのネットワークの一つではないかと思っているのですが、そのへんはどうでしょうか。

「そうですね。けど、今は何でもありますから。一昔前と違ってありがたみも薄いとは思いますね。『マキシマムロックンロール』(注:アメリカの老舗パンク雑誌)が世界中のマニアの掲示板みたいな役割してた時代から比べたら物凄い進化ですよ。切手の上にノリ塗って再利用したりとか、「切手は送り返してくれ!」が合い言葉みたいな10数年前から比べたら物凄い時代の変化ですよね。ちなみにこれ犯罪ですから(笑)。今はうるさいだけの音楽ならどこでだって買える時代ですからね。だいたい、普及が遅れてるって言われてる日本だけ見ても、この10年のパソコンの普及率なんて恐ろしい数じゃないですか。ネットカフェだってどこにでもあるし。だから作品を手に入れようと思ったら昔よりずいぶん簡単になりましたけど、本質的には何も変ってないですからね。ネットなんか無い時代からでも探す人は探すし、探さない人は探さない。道具が変わっただけで、そこら辺の図式も割り合いも変わってないんですよ。興味ない物には誰も見向きもしないじゃないですか。『マキシマムロックンロール』に広告だけ載せて、その処理だけしてた時の方がよっぽど手間も金もかからなかったですよ。ホームページを設けたり、ネットで試聴が出来るとかデータのやり取りも凄い便利な時代ですけど、それは俺がいつも言うレーベルの立ち位置っていうかそこら辺の意識の問題であって、入り口をどこに設けるかって話ですよね。設けてる以上は告知とか営業的な部分も関わってくると思いますし。今は販売方法に関してもダウンロードとか色々ありますから。そこら辺に関しても現在は着手してますけど、基本的にレーベルとしての最低限の役割、立ち位置が重要だと思うんで、そういった意味ではレーベルがアンテナ的な役割を高めることは大事だと思います。けど、俺が言ったネットワークってのは物凄い初歩的なことっていうか、どんなにソフトが変わってもそこだけは絶対に変わらない部分。もっと根っこの話です。例えば今なら特別な会社とかじゃなくてもネットで試聴したり無料でダウンロードも出来るわけだし、マイスペースとかオーディオリーフ(ストレートアップのHP上にバナーあり)とかバンドにとっても武器となるサイトもありますから。そういった便利な物も利用しつつ模索してる最中ですね。個人的には自由に動けますから、色んなアプローチを試みていきたいと思ってます。四苦八苦してますけどね。ほんと馬鹿だから(笑)」

*レーベルを始めるにあたって手本にしたレーベルはありましたか?KOさんの中にレーベルの理想像のようなものはありましたでしょうか。

「お手本になったかどうかわからないけど、理想って言うかワシントンD.C.のディスコード(注:フガジのイアン・マッケイが興したレーベル。強固なインディペンデント精神に基づいて運営している)は意識した時代がありましたね。「D.C.のバンドしかリリースしない」ってポリシーや、テープなりレコードなり常にそれぞれのファーマット作ってたし、当時は憧れました。「地元のバンドしかリリースしない」って部分に関しては、俺の場合80%くらい卑屈が混ざってましたけどね(笑)。けど、ここら辺は旭川のジョニーボーイズや函館のクルード、マスタングなんかをリリースすることになってすぐなくなりました。「こおちゃん出して!」「いいよ!」みたいに一瞬で(笑)。そういった札幌以外で活動するバンドのことも関係して来ますけど、カウンターアクションが母体で、俺がレーベルなりライヴ・ハウスなり経営してる限り、どうしても関わってくることじゃないですか。自分のバンドのことも関係してきますし。それこそネットワークなんですよ。だからレーベルはまず地元にしっかり根付いたものにしたかったですね。今考えてもそこから北海道、日本、海外ってリリースするバンドも広がって行きましたから。レーベルっていうかレコード作りとかには中学生くらいから興味持ってましたよ。たぶん一番最初はADK RECORD(注:スターリンのTAMが作ったレーベル。奇形児、マスターベーション、LSDなどをリリース)とかA.A.RECORD(注:ラフィンノーズが設立したレーベル。ZOUO、LIP CREAM、OUT、CITY INDIANなどをリリース)だったと思うんですけど。かなり影響受けてます。あと、それ以降の日本のレーベルにもかなり影響を受けてますね。だから始めた頃はそんなことも踏まえて、世界中の誰もが知ってるようなレーベルになりたかったです」

*最初は北海道のバンドのリリースが主だったと思うのですが、途中から様々な地域や国のバンドをリリースしていくようになりましたね。

「これはもう「友達の輪」状態でしたね。友達が友達を連れて来て・・・って広がった感じでした。海外のバンドの場合は、お互いの国で広め合いたいってところからスプリット出したりとかってなってったんですけど、そこからアルバムって話が発展したり、それぞれ様々ですね」

*リリースするバンドはどのように決められるのですか。“このバンドの作品を出そう”という決め手はどのあたりでしょうか。送られてきたデモ・テープの中から出すこともありますか?

「送られてきたデモの中からリリースに至ったバンドももちろんいますよ。後は、やっぱりカウンターアクションって場所がありますから、そこから発展して行ったりとか、ツアー先で話が持ち上がったりとか様々なんですけど、決め手はなんでしょうね・・・・・・。俺的には熱いバンドが好きなんですけど、熱さも色々ありますからね(笑)。とりあえず真摯な姿勢は見てるところあるかもしれないです。とりあえず真直ぐな人達が好きですね。真直ぐに偏屈な曲を作ってるとか(笑)」

*なるほど(笑)。ストレイトアップ・レコーズの大きな特徴の1つは、音楽的にパンク/ハードコア・バンドだけでなく、パンク的な精神を持っている(と私は思っているのですが)桑田健志さんやTHA BLUE HERBなどを出されているところだと思います。THA BLUE HERBなどを出された理由を教えてください。

「ブルーハーブはカウンターアクションにも出たことあったし、俺が単純に好きだったんですよね。うちからCDにまとめたの出すまでに自分達でアナログ3枚きってたんですけど、なかなか売れないって言ってて。それで俺が「車で聴きたいからCD作ってよ」って話して(笑)。そうしたら「CDにはあまり興味がないし余裕もない」って話になって「じゃあ俺が作るよ」と、まあそんな感じです。ブルーハーブは品番50番ですから、彼等も畑は違うけどそれまでの功績を評価してくれてたし、「頼むよ」って、たぶんあまり売数には期待してなかったと思うんですけど・・・(笑)。けど、俺は絶対にロックの畑の人に聴いてもらいたかった作品でしたから。あの時期にうちからブルーハーブってのは、ある意味ほんと反則だと思いましたけど、まさに運命としか言い様がない状況でしたから。賛否両論はいろいろありましたけどね。本人達はラフィンノーズとか通ってるけどまったくパンクって意識もないし・・・(笑)。けど、俺にとっては印象深い作品ですね。あの時期は何かをぶっ壊してくれたとは思ってました。あのリリースの後の動きが読めなかったですから。ごちゃごちゃと大手流通会社の引き抜きみたいのにもつきあわされたし。いやらしい話もたくさんありましたよ。そんな意味でもほんと問題作でしたね(笑)。それに比べたら桑田健志は遠藤ミチロウさんなんかとも一緒にやってたりしたし、俺とは古くからの友人でしたから話はスムーズでした。両者とも何故リリースしたのかって聞かれても、理由なんかいつも「出したいから」ってそれしかないんですよね。「やりたい!やる!」いつもこれで終わりですから。レーベル・カラーとかも最初は気にしたし、他人にも言われましたけど、レーベル買いってよりは一つ一つの作品に目を向けてもらいたいし、音の特徴でレーベル買いされるんなら、そんなの長くは続かないじゃないですか。人間は成長するんだし。だから早い時期にそれは自分のやることではないと思ってました。統一性って話なら、やっぱり感覚的に空気感でとらえてもらいたいですね。共有できるものって言うか、もちろんリリースする以上は売数も関係ありますけど、それ以前に、その作品が本人やそこのシーンに対する影響なんかの方をまず先に考えてきたとこは大きいと思いますね。そこら辺は日本のレーベルからの影響も大きいと思います。俺が先輩にしてきてもらったことでもありますから。あと、よく言われて来た事の中に「主義主張」や「スタイルの違い」が云々って話があったんですけど、俺なんか高校も入れてもらえなかったロクデナシですからね。ごちゃごちゃ言う資格なんてないし、ストレートアップからリリースしたいって言ってくれるだけで充分うれしいんですよ、みんなの期待に応えてあげることは出来ないかもしれないですけど。ストレートアップが何をやって来たか、そこから誰がリリースしたか。もう、それだけで充分な意思表示じゃないですか。一般の人は気にしないですけど、大手と違ってストレートアップはどうしてもストレートアップってフィルタ−を通した目で見られてしまうところがあると思うんです。俺がスラングをやって来た事も大きく関係してくると思います。けど、そこら辺の理解も含めて、今回の3枚組を手にとって聴いてもらったら、今までストレートアップとしてやって来た事がすごく解りやすくなったと自分では思ってるんですけど」

*あえて聞きます。音楽的な面で、ストレートアップ・レコーズのレーベル・カラーを表現するとしたら・・・。

「単純にロックのレーベルですよ。」

*これまで数多くの作品をリリースしてきて、どの作品もそれぞれ思い入れがあると思うのですが、特に印象深かった作品はというと。

「『ハードコアボール』とかはそれぞれ思い出がありますね。やっぱり進むにつれて世界中からバンドを集めるようになりましたし、いろいろ苦労も大きかったですけど得るものも大きかったです。ブルーハーブはさっきも言いましたけど、分岐点になった一枚だと思ってるし、鐵槌のアルバムもマスターが届いた時はクオリティーの高さに感動しましたね。ちょっと言い方悪いですけど、その都度レーベルやってて良かったと思えることはありますけど、やっぱり胸はって名作って言える作品って中々ないと思うんですよ。やはり個人の感覚ですから。タイミングや出会いが大きく関係して来ると思います。けど、俺はここまでやってきてそんな作品に出会ってるし、そこに立ち会えてる。それはもう奇跡ですよね。そんな音源もって来られた時の感動ったらないですから。」

*それはもう、やっている人だからこその感動ですよね。『HARD CORE BALL』の話が出ましたが、このコンピレーションのシリーズはレーベルにとって重要な位置にある作品なのですね。

「『ハードコアボール』はある意味で軸になってる部分もあると思います。ある意味ですけど。やっぱり最初が地元の色んなタイプのバンドを入れて『ハードコアボール』ってタイトルにして、その時点でかなり葛藤がありましたし、自問自答しましたからね。それで次は色んな出会いがあって各地のバンドに参加してもらって、その次はまたナックルヘッドの戸沢に監修で入ってもらったりしたし。『ハードコアボール-4』で世界中から集めるようになって、『ハードコアボール-5』もそうでした。けど、いろいろ考えてるうちにただ参加国を無闇に広げても意味がないかなと思いはじめまして、ここらでちょっと原点に帰るってわけじゃないんですけど、もっと最初の頃みたいに無名なバンドっていうか、単独作品を出してないんだけど、今ここからって感じで、各地の元気の良いバンドに焦点をあててみたくなったんですよね。もっと作品の存在意義を大事にしたというか、手ごたえ重視の作りに戻したかったんです。海外の反応はわかりませんから。「日本で有名になりたい」みたいな海外バンドを相手にするのにもうんざりしてたし。それで当時カウンターアクションのスタッフだった人間にバンド選考を協力してもらって『ハードコアボール-6』の発表に至った。そして現在はそんなことも踏まえながら『ハードコアボール-7』の製作に入ったところなんです。だからレーベル的には凄く意味のある作品ではあるんですよね。札幌って土地柄からも、製作にあたって色々と勉強しなきゃいけない部分が多かった。だから俺的にもこのシリーズが軸になって大きく成長させられた部分も大きいです」

*レーベル発足10周年を記念したベスト盤『STRAIGHT UP DAYS』が出ることになりましたが、71バンド、71曲、3枚組とは正直言ってかなりびっくりしました。早速、聴かせてもらったんですが、ジャパニーズ・スタイルのハードコアもあるし、NYスタイルのハードコアもあったり、Oi!、ストリート・パンク・・・と本当に様々なパンク・バンドが一堂に会していて、レーベルの懐の深さを改めて実感しました。それぞれ個性も強いしジャンルも違うのに、全く違和感もなかったし、逆にそれぞれのバンドの魅力を改めて感じられたりもしたのですが、これほどボリュームのあるベスト盤を作ろうと考えたのは?

「気が付いたら凄まじいことになってましたね。内容的には色々考えたんですけど、気付いたら3枚組にしかならないように仕組まれてて・・・・・・カルマに(笑)。けど、10年やって来たからってただの記念で作ったんじゃないから、活動してるバンドの何かの足しになってほしいです。もちろんレーベルの軌跡でもあるわけですから思い入れもありますけど、思い入れだけだったら製品化する意味ないですから。作り手とか買い手とかありますけど、色んな意味でそんな思いが凝縮された作品です。ここに来てようやく「どんなレーベル?」「いや、これ聴けばわかるから」って、今になってようやくそんな作品が出来た感じです」

*10年間レーベルをやってこられてきて、レーベルに対しての考え方などで変化したところなどはありますか?逆に、ここは全く変わっていないというところは。またレーベルを運営していくうえでの苦労など教えてください。

「何年か前から東京でも定期的に“STRAIGHT UP NITE”やってますし、その場でも感覚的な深さにはこだわりたいところがあるから、基本的には何も変わってないですよね。地元じゃないんで迷惑かける事もあるんですけど、東京でやってる企画もすごく良いライヴだと思います。製作以外にもレーベルのやれることはあると思うし、現場があって作品があって、またその逆も然りってことだと思いますから。気持ち的な部分は最初からは何も変わってないですね。ただ、あの頃は手が届かなかったことも、今はやれて来てる部分もある。札幌に住みながら東京で企画打ってくのは楽じゃないです。けど、やろうと思えばやれる状況でもありますから。新宿ロフト、渋谷チェルシーホテル、新宿アンチノック、新宿D.O.M.の方々にも凄いお世話になってきてるし、俺達の置かれてる状況とやり方を理解して頂いて、ずいぶんと協力して頂いてます。だから苦労なんて無いですよ。まあ、言い出したら苦労しかないですし(笑)。世の中はどんどん変わって行きますからね。ネット配信然り、レーベル始めた頃なんか考えられなかったですよ。アナログか?CDか?なんて話してたんですから。けど、そんな時代の流れも把握してなきゃならないし、対応するところはしなきゃならない。CDが無くなっても音楽が無くなるわけじゃないですからね。レーベル的にはこれからも、嫌でも変わらなきゃいけない時期ってのはあると思います。変わっちゃいけない部分、変われない部分もありますから見極めが大事ですよね。感覚的なことなんですけど。色んな技術は持ってたほうが良いと思いますから、あまり難しいことはわからないけど、やってみて合わないようだったら捨てるぐらいの感覚で今後も取り込んで行こうとは思ってます」

*KOさんが感じるレーベルの魅力はどんなところでしょうか。

「いや、ほんと苦労しかないですって(笑)。けど、そんな中で名作と呼べる作品に出会ったり、リリースしたバンドから「地元の集客状況が変わった」とか「親が喜んだ」とか・・・(笑)そんな報告された時に苦労が吹っ飛ぶ瞬間があるんです。「少しは人の役に立てたのかな?」って。俺的にレーベルに魅力があるとしたらその一点のみですよ。そこら辺の感覚に魅力と落とし穴が共存してるのも今は何となく解るんですけど。それでも俺がやりたいレーベルはそんなレーベルなんです。自分で進んで行くならバンドのコントロールはバンドがしなきゃならない。これは当然です。言い方悪いけど、所詮レーベルはレーベルでしかないですから」

*これからストレートアップ・レコーズとしてやっていきたいことは何でしょうか。

「レーベルの立場を踏まえた上で、アイディアなりなんなりを打ち出して行けたら良いと思ってます。レーベルサイドが動くからこそ実現できることってのもたくさんあると思いますから。現実問題として難しいことも多いんですけど、やれる限りのことをやってみたいですね。世界中の人にうちの作品を聴いてもらえるようなレーベルになりたい。だから、とにかくアンテナだけは高くしていきたいですね。誰の元にでも作品を届けられるようにしたい。レーベルとしての本質を自分なりに深めていきたいです。それだけです」